銅鐸(表面)[静止画/400×600ピクセル/105.9KB]
平成10年11月、吉野ヶ里遺跡、大曲一の坪地区の発掘調査現場から小さな穴に逆さに埋められた銅鐸が発見された。それは九州ではこれまで発見されていない、高さ28cmの銅鐸だった。この写真はその銅鐸の表面である。(写真提供:佐賀県教育委員会)
関連資料:
英語説明文と日本語訳
銅鐸(裏面)[静止画/400×600ピクセル/94KB]
銅鐸は、近畿地方を中心に、祭りで使われていた道具である。九州では初めての銅鐸が、吉野ヶ里遺跡で発見された。これにより、九州でも祭祀の場で銅鐸が使われていたことが裏付けられ、弥生時代の青銅器を用いた祭祀を考える上で重要な発見となった。(写真提供:佐賀県教育委員会)
銅鐸の紐[静止画/600×400ピクセル/129.7KB]
九州で初めて出土した吉野ヶ里遺跡の銅鐸は、高さ28cmで、未の部分は綾杉文、鈕(吊り手)や鰭の部分は複合鋸歯文で飾られている。銅鐸は紐を下にした状態で小さな穴に埋められていたと考えられる。(写真提供:佐賀県教育委員会)
銅鐸の紐 出土状況[静止画/600×400ピクセル/166.8KB]
平成10年11月、吉野ヶ里遺跡、大曲一の坪地区の発掘調査現場から小さな穴に逆さに埋められた銅鐸が発見された。九州では銅鐸の鋳型が出土しているので、銅鐸を生産していたことはわかっていたが、銅鐸そのものの出土例は知られていなかった。(写真提供:佐賀県教育委員会)
銅鐸出土地点[静止画/600×400ピクセル/148.1KB]
平成10年11月、吉野ヶ里遺跡、大曲一の坪地区の発掘調査現場から、九州で初めての銅鐸が出土した。この銅鐸は紐を下にした状態で小さな穴に埋められていたと考えられる。埋められた時期は弥生時代終末 (3世紀)が上限と推定される。(写真提供:佐賀県教育委員会)
復元された銅鐸[静止画/600×400ピクセル/49.1KB]
吉野ヶ里遺跡で出土した銅鐸は、その大きさや文様の特徴から、中国地方で4例見つかっている「福田型銅鐸」であり、そのうち、島根県で出土したといわれている「木幡家所有銅鐸」と同じ鋳型で作られた兄弟銅鐸であることがわかった。(所蔵先:佐賀県教育委員会)
銅鐸の解説図[静止画/400×600ピクセル/131.2KB]
この銅鐸は「福田型銅鐸」であり、島根県で出土した「木幡家所有銅鐸」と同じ鋳型で作られた兄弟銅鐸であることがわかった。福田型銅鐸の鋳型は佐賀県や福岡県で見つかっており、九州で作られた銅鐸が中国地方まで運ばれたと考えられる。(資料提供:佐賀県教育委員会)