四面鋳型と細形銅矛鋳型[静止画/600×400ピクセル/93.5KB]
青銅器を作るには、銅などの金属を溶解し、鋳型と呼ばれる製品の形を掘り込んだ石材に流し込む。金属が冷えて固まった後、鋳型から取り出して砥石で磨いて仕上げる。写真は四面鋳型と細形銅矛鋳型である。(所蔵先:佐賀県教育委員会)
関連資料:
英語説明文と日本語訳
四面鋳型の矛先部分[静止画/600×400ピクセル/75.8KB]
吉野ヶ里遺跡で見つかっている青銅器の鋳型は、石英長石斑岩という石材が用いられている。貴重な石材であったせいか、石材の表裏と両側面を加えた四面を利用したものがある。写真は四面鋳型の矛先部分である。(所蔵先:佐賀県教育委員会)
四面鋳型と銅矛中子[静止画/600×400ピクセル/71.4KB]
吉野ヶ里遺跡では様々な鋳型が見つかっており、弥生時代における青銅器の一大鋳造センターであったことが窺がえる。また青銅器の鋳型には、石英長石斑岩という貴重な石材が用いられており、石材の表裏と両側面を加えた四面を利用したものがある。(所蔵先:佐賀県教育委員会)
四面鋳型の断面[静止画/600×400ピクセル/72.8KB]
吉野ヶ里遺跡で見つかった青銅器の鋳型には、石英長石斑岩という貴重な石材が用いられており、石材の表裏と両側面を加えた四面を利用したものがある。四面鋳型の断面は写真のようになっている。(所蔵先:佐賀県教育委員会)
四面鋳型の銅剣部分[静止画/600×400ピクセル/63.1KB]
吉野ヶ里遺跡では、銅矛、銅剣、巴形銅器の鋳型が見つかっており、弥生時代における青銅器の一大鋳造センターであったことが窺がえる。また、石材の表裏と両側面を加えた四面を利用した鋳型もある。これは四面鋳型の銅剣部分である。(所蔵先:佐賀県教育委員会)
細形銅矛鋳型[静止画/600×400ピクセル/57.1KB]
吉野ヶ里遺跡では矛や剣などの鋳型が発見され、青銅器の生産が長期間にわたって行われたことが判明した。写真は細形銅矛の鋳型である。最古の銅矛鋳型で、完成品は25cm前後あったと考えられる。(所蔵先:佐賀県教育委員会)
鋳型の集合[静止画/600×400ピクセル/85.4KB]
青銅器を作るには、銅などの金属を溶解し、鋳型と呼ばれる製品の形を掘り込んだ石材に流し込む。金属が冷えて固まった後、鋳型から取り出して砥石で磨いて仕上げる。写真は吉野ヶ里遺跡で発見された各種の鋳型の集合である。(写真提供:佐賀県教育委員会)
巴形銅器鋳型と復元品[静止画/600×400ピクセル/79.1KB]
巴形銅器の鋳型は全体の約2分の1の破片で、石製である。これまで巴形銅器は全国で約110点出土したが、鋳型の出土は吉野ヶ里が全国で初めてである。まじないや、魔よけの意味があったと思われ、楯に装備されていたものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)
不明青銅器鋳型と巴形銅器鋳型[静止画/600×400ピクセル/85.7KB]
吉野ヶ里遺跡では、銅矛、銅剣、巴形銅器の鋳型が見つかっており、弥生時代における青銅器の一大鋳造センターであったことが窺がえる。写真右は巴形銅器の鋳型で、写真左のものは何を作るかわからない鋳型である。(写真提供:佐賀県教育委員会)
不明青銅器鋳型(裏面)[静止画/600×400ピクセル/76.3KB]
青銅器を作るには、銅などの金属を溶解し、鋳型と呼ばれる製品の形を掘り込んだ石材に流し込む。金属が冷えて固まった後、鋳型から取り出し、砥石で磨いて仕上げる。吉野ヶ里遺跡では、銅矛、銅剣、巴形銅器の鋳型が見つかっている。(写真提供:佐賀県教育委員会)