祭壇跡脇 土坑[静止画/600×400ピクセル/139.1KB]
青銅器工房跡は、幅約4mの溝状の穴で、内部には多数の炭化物や灰が堆積しており、多数の土器群や鉄製刀子・鉄ノミ、ヒスイの勾玉等とともに、銅剣・銅矛の鋳型や錫のかたまり、青銅の破片、溶解炉と考えられる焼土片などが発掘された。(写真提供:佐賀県教育委員会)
関連資料:
英語説明文と日本語訳
祭壇跡脇 土坑[静止画/400×600ピクセル/127.5KB]
弥生時代中期には青銅器を鋳造したと考えられる遺構が確認されている。ここからは四面すべてが銅剣・銅矛の鋳型として使用されているものの他に炉の破片と考えられる焼土塊や、青銅の原料である錫、炭化木などが出土している。(写真提供:佐賀県教育委員会)
祭壇跡脇 土坑[静止画/600×400ピクセル/147.8KB]
この青銅器関連遺構からは、鋳型の他に炉の破片と考えられる焼土塊や、青銅の原料である錫、炭化木、灰などが出土している。またこの周辺からは朝鮮半島系の土器が出土しており、青銅器鋳造に半島の人々が関わったことを示唆している。(写真提供:佐賀県教育委員会)
祭壇跡脇 土坑[静止画/600×400ピクセル/134KB]
遺跡南部の生活拠点(南墳丘墓周辺)では青銅器工房跡が存在し青銅器の鋳造が遅くとも弥生時代前期後半~中期初頭には始まっていたものと考えられる。青銅器の鋳造活動はその後も継続し、大きな経済基盤となったと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)
祭壇 土層断面[静止画/600×400ピクセル/108.4KB]
遺跡の南部には、弥生時代中期に築かれた人工の丘が存在する。確認調査の結果、墓は見つからず、祭祀用の赤い土器などが数多く出土した。供物として神に捧げられたものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)
四面鋳型 出土状況[静止画/600×400ピクセル/173.1KB]
弥生時代中期には青銅器を鋳造したと考えられる遺構が確認されている。ここからは四面に銅剣・銅矛の型が彫られた鋳型が、多くの土器群の中から出土した。四面鋳型は写真のような状況で出土している。(写真提供:佐賀県教育委員会)
青銅製素環頭刀子[静止画/600×400ピクセル/73.2KB]
青銅器工房跡からは四面すべてが銅剣・銅矛の鋳型として使われているものなどが出土した。四面鋳型と同時に出土した青銅の環(素環頭)が付いた鉄製の刀子(小刀)は、その形状から中国産のものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)
青銅製素環頭刀子と金属製品[静止画/600×400ピクセル/65.7KB]
四面に銅剣・銅矛の型が彫られた鋳型が、多くの土器群の中から出土した。同時に出土した青銅の環(素環頭)が付いた鉄製の刀子(小刀)は、その形状から中国産のものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)
青銅製素環頭刀子[静止画/600×400ピクセル/73.1KB]
四面に銅剣・銅矛の型が彫られた鋳型が、多くの土器群の中から出土した。同時に出土した青銅の環(素環頭)が付いた鉄製の刀子(小刀)は、その形状から中国産のものと考えられている。これは青銅製素環頭刀子の写真である。(写真提供:佐賀県教育委員会)