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前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)

前方後方墳(南から)
前方後方墳(南から)[静止画/600×400ピクセル/122.4KB]
吉野ヶ里遺跡では古墳時代初頭頃(紀元後3世紀後半)の前方後方墳が南内郭付近の丘陵上で3基見つかっている。いずれも墳丘は削られ残っていないが、古墳の周囲を巡る溝跡が前方後方墳の形になっている。写真はST2200号墳である。(写真提供:佐賀県教育委員会)
関連資料: 英語説明文と日本語訳

前方後方墳(南西から)
前方後方墳(南西から)[静止画/400×600ピクセル/127.7KB]
前方後方墳は東海地方を中心に近畿、関東、瀬戸内・山陰地方等に広範囲に分布しており、その数も多い。これまでに九州で見つかっているものは10数基程度であるが、うち3基が吉野ヶ里遺跡で見つかっている。写真はST2200号墳である。(写真提供:佐賀県教育委員会)

前方後方墳(上から・遠景)
前方後方墳(上から・遠景)[静止画/400×600ピクセル/142KB]
吉野ヶ里遺跡では古墳時代初頭頃(紀元後3世紀後半)の前方後方墳が3基見つかっている。この前方後方墳は、弥生時代終末期頃から古墳時代初頭にかけて吉野ヶ里遺跡の変遷を知る上で重要な意味を持っている。写真はST2200号墳である。(写真提供:佐賀県教育委員会)

前方後方墳(上から・近景)
前方後方墳(上から・近景)[静止画/400×600ピクセル/139.5KB]
吉野ヶ里遺跡で見つかった3基の前方後方墳は、いずれも墳丘は削られ残っていないが、周囲を巡る溝跡が前方後方墳の形になっている。この前方後方墳の存在は吉野ヶ里遺跡の変遷を知る上で重要な意味を持っている。写真はST2200号墳である。(写真提供:佐賀県教育委員会)

前方後方墳(上から・近景)
前方後方墳(上から・近景)[静止画/600×400ピクセル/143.2KB]
前方後方墳は東海地方を中心に広範囲に分布しており、その数も多い。それに比べて九州は、これまでに見つかっているものを合わせても10数基である。その内の3基が吉野ヶ里遺跡で見つかっていることは興味深い。写真はST2200号墳である。(写真提供:佐賀県教育委員会)

前方後方墳 土層断面
前方後方墳 土層断面[静止画/600×400ピクセル/117.9KB]
吉野ヶ里遺跡の前方後方墳の特徴として、1つは後方部が横長であること、2つめは、くびれ部の溝跡がかなり深く掘り込まれていることがあげられる。これはST2200号墳の土層断面の写真である。(写真提供:佐賀県教育委員会)

前方後方墳 くびれ部
前方後方墳 くびれ部[静止画/600×400ピクセル/146.1KB]
吉野ヶ里遺跡の前方後方墳の特徴として、後方部が横長である事とくびれ部の溝跡が深く掘り込まれている事があげられる。特にST2200号墳はくびれ部の深さが約1.8m程度あり、非常に深い周溝であったと考えられる。(写真提供:佐賀県教育委員会)

前方後方墳 土器出土状況
前方後方墳 土器出土状況[静止画/600×400ピクセル/133KB]
吉野ヶ里遺跡ST2200号前方後方墳の周溝からは、多数の土器が見つかっている。その土器の大半は地元でつくられたものであるが、一部、他の地域でつくられた土器も混じっている。(写真提供:佐賀県教育委員会)

前方後方墳 土器出土状況
前方後方墳 土器出土状況[静止画/600×400ピクセル/127.9KB]
吉野ヶ里遺跡ST2200号前方後方墳の周溝の西側くびれ部の周溝から見つかった土器は、西部瀬戸内地域の土器と考えられている。弥生時代終末期頃から古墳時代初頭頃にかけて他地域との交流があったことを窺がわせる資料である。(写真提供:佐賀県教育委員会)