南盛土と作業員[静止画/600×400ピクセル/136.8KB]
縄文人が、竪穴住居や大きな柱穴を掘った時の残土・排土を、同じ場所に長期間にわたって捨て続けた結果、小さな丘ができた。整然と層状に盛り上げた土砂の山は、まるで計画的に造営されたように思われる。(写真提供:青森県教育庁文化課)
関連資料:
英語説明文と日本語訳
南盛土[静止画/600×400ピクセル/140.8KB]
平坦面に、長期間にわたる人為的な土の廃棄により地形が盛り上げられた部分を盛土遺構と呼んでいる。三内丸山遺跡で検出した盛土遺構は、北盛土と南盛土に分けられる。(写真提供:青森県教育庁文化課)
南盛土[静止画/400×600ピクセル/151.6KB]
北盛土と南盛土の共通点として、一つ一つの層がかなり細かく堆積しており、明確に確認できること、廃棄と考えられる炭化物層・焼土層など生活に関わる痕跡が純粋な層を成していること、遺物が大量に含まれること、などがあげられる。(写真提供:青森県教育庁文化課)
南盛土[静止画/600×400ピクセル/159.2KB]
南盛土は約1000年かかってできたもので、その厚さは2m~2.5mにも及ぶ。断面を観察すると、土の色が微妙に違っており、ほぼ水平に堆積していることがわかる。定期的に整地を行っていた可能性が強い。(写真提供:青森県教育庁文化課)
南盛土[静止画/400×600ピクセル/155.9KB]
南盛土は平成6年度に一部トレンチ調査(溝を掘り断面を観察すること)が行われた。南盛土の下からは、縄文時代前期中葉の楕円形の土坑が検出されており、その形態より土坑墓の可能性がある。(写真提供:青森県教育庁文化課)
南盛土(厚さ)[静止画/400×600ピクセル/102.7KB]
南盛土は当初、盛土北西側から廃棄が始まり、徐々に東側、南東側に拡大していったようである。規模は南北約70m×東西約40mで、厚さはもっとも厚いところで2.1mである。(写真提供:青森県教育庁文化課)
南盛土[静止画/400×600ピクセル/133.6KB]
盛土を構成する層は、ローム・褐色土主体の黒色土・炭化物・焼土等で、細かい単位の廃棄で堆積する。これらは層間に自然堆積を呈する黒色土を挟まないことから、継続的な堆積が繰り返されたと考えられる。(写真提供:青森県教育庁文化課)
公開中の遺構[静止画/400×600ピクセル/158KB]
遺跡にて公開中の南盛土の遺構である。遺構の保存処理を行うとともに、覆屋を設け、風雨や太陽光線などから保護し、通年で見学が可能になるように配慮している。覆屋内には遺構保護のため空調設備を設置している。(撮影協力:青森県教育庁文化課)
南盛土[動画/320×240ピクセル/1.6MB]
南盛土は約1000年かかってできたもので、その厚さは2m~2.5mにも及ぶ。断面を観察すると、土の色が微妙に違っており、ほぼ水平に堆積していることがわかる。定期的に整地を行っていた可能性が強い。(資料提供:青森県教育庁文化課)