調査区全景(5次)[静止画/600×400ピクセル/192.1KB]
第5次調査区の航空写真である。調査の結果、縄文時代の竪穴住居跡、土坑、掘立柱建物跡などのほか、平安時代の竪穴住居跡などが確認された。竪穴住居群は縄文時代中期中葉を主体としていると考えられる。(写真提供:青森県教育庁文化課)
関連資料:
英語説明文と日本語訳
調査区全景(8次)[静止画/600×400ピクセル/190.7KB]
第8次調査区の航空写真である。遺跡東側の台地平坦部から低地にかけての調査の結果、土坑墓列は約420mにわたって延びていることが判明した。土坑墓列は西(集落中心部)から東へ延びたものと考えられる。(写真提供:青森県教育庁文化課)
調査区全景(9次)[静止画/600×400ピクセル/170.4KB]
第9次調査区の写真である。調査の結果、径60cm前後の柱穴が確認され、1間×2間の掘立柱建物跡を構成することが判明し、少なくとも4期以上の構築が認められた。1間の寸法(柱間寸法)は約280cmと約350cmのものがある。(写真提供:青森県教育庁文化課)
調査区全景(10次)[静止画/600×400ピクセル/219.5KB]
第10次調査区の航空写真である。調査の結果、縄文時代の竪穴住居跡、竪穴遺構、土坑、埋設土器などのほか、平安時代の竪穴住居跡などが確認された。縄文時代の竪穴住居跡は縄文時代中期中葉のものである。(写真提供:青森県教育庁文化課)
調査区全景(11次)[静止画/600×400ピクセル/194.4KB]
第11次調査区の航空写真である。検出遺構、出土遺物のほとんどが、縄文時代中期中葉の円筒上層e式期のものである。第11~13次の総調査面積は計4615㎡となり、出土遺物は縄文時代の土器・石器などダンボール箱で計59箱である。(写真提供:青森県教育庁文化課)
調査区全景(12次)[静止画/600×400ピクセル/195.7KB]
第12次調査区の航空写真である。三内丸山集落の形成当初から、北の谷は膨大な土器の廃棄場所であったことが判明した。土器が隙間なく密集することから、かなりの短期間に集中して、若しくは連続して廃棄されたものであると思われる。(写真提供:青森県教育庁文化課)
調査区全景(14次)[静止画/600×400ピクセル/183.3KB]
第14次調査区の航空写真である。環状配石遺構は、環状配石を伴う土坑墓であることが判明した。本遺構は他の環状配石と比べ、礫が濃密であり、配置が整然さに欠ける特徴がある。中心の異なる、複数の円の重なりとも理解できる配置である。(写真提供:青森県教育庁文化課)