航空写真(全景)[静止画/600×400ピクセル/170.3KB]
三内丸山遺跡は、縄文時代の前期中頃から中期(今から約5500年前~4000年前)にかけての日本最大の集落跡である。発掘調査により集落全体の様子が少しずつ明らかになってきている。これは発掘中の遺跡全体を上空から撮影したものである。(写真提供:青森県教育庁文化課)
関連資料:
英語説明文と日本語訳
遺構配置図[静止画/400×600ピクセル/157.3KB]
1992年より野球場を中心とする総合運動公園の整備のために始まった発掘調査では、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡などの建物跡をはじめ、お墓、捨て場などの多くの遺構が見つかった。図は遺構の配置を示している。(資料提供:青森県教育庁文化課)
航空写真(東から)[静止画/600×400ピクセル/168.7KB]
三内丸山遺跡は青森市の郊外、JR青森駅から南西方向約4キロの小高い丘の上に立地する。遺跡全体で約38haあり、公式サッカーコートの約53個分の広さになる。これは発掘調査の結果をもとに復元された遺跡を東から撮影したものである。(写真提供:青森県教育庁文化課)
集落の復元CG[静止画/600×400ピクセル/98.2KB]
三内丸山遺跡は日本最大の集落跡で、縄文人が長期間にわたって定住生活を営んでいた場所である。CGで復元された集落の左上の塔は大型掘立柱建物、隣接するのは大型竪穴住居、中央の盛土の間の建物は高床倉庫である。(資料提供:青森県教育庁文化課)
集落の復元模型[静止画/600×400ピクセル/164.6KB]
縄文時代は今から約1万2~3千年前に始まり、約2千3百年前に終わった。その約1万年間を「縄文時代」と呼んでいる。これは、発掘調査により得られた情報をもとに製作された三内丸山集落の復元模型である。かなり大きな集落であった事がわかる。(所蔵先:青森県教育庁文化課)
大型堀立柱建物の復元模型[静止画/600×400ピクセル/160.9KB]
三内丸山遺跡における特徴的な遺構として大型掘立柱建物跡があげられる。これらの模型は専門家から提唱されている代表的な復元案を再現したものである。(所蔵先:青森県教育庁文化課)
縄文海進図[静止画/600×400ピクセル/305.3KB]
当時の遺跡周辺は現在より少し暖かく、年間の平均気温が2度から3度くらい高かったと考えられている。したがって海が現在よりも内陸に入り込んでおり、標高5m前後が海岸線と考えられる。(資料提供:青森県教育庁文化課)
三内丸山遺跡[動画/320×240ピクセル/1.6MB]
三内丸山遺跡は、縄文時代の前期中頃から中期にかけての日本最大の集落跡である。発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡などの多くの遺構が見つかり、集落全体の様子が具体的に判明している。(資料提供:青森県教育庁文化課)