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土佐日記1(とさにっき1)

土佐国府の碑
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土佐国府の碑[動画/320×240ピクセル/2.9MB]
紀貫之は足かけ五年、ここ土佐国府に土佐守として赴任していました。そして承平四年(934年)任期を終えて土佐から船で京の都に向かいます。画像は南国市比江にある土佐国府跡の碑です。

土佐国司館跡
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土佐国司館跡[動画/320×240ピクセル/4.1MB]
紀貫之は、この地で亡くした娘を思い「都へと思ふをものの悲しきは 帰らぬ人のあればなりけり」と詠んでいます。南国市比江に残る土佐国司館跡には、この歌を刻んだ歌碑が建てられています。

船戸 紀貫之舟出の地
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船戸 紀貫之舟出の地[動画/320×240ピクセル/2.5MB]
紀貫之一行は、高知の船戸から船で出発します。館を十二月二十一日に出て、船が出る船戸で一週間、別れを惜しむ人たちとの交流が続きました。お世話になったお礼や、旅の安全へのお祈りなど、土佐の人々のもてなしを受けています。

桂浜
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桂浜[動画/320×240ピクセル/2.5MB]
土佐日記には「今宵浦戸に泊まる。藤原ときざね、橘のすえひら 異人々追ひ来たり。」とあり、見送りの人々が後を追って来ています。当時の浦戸は、いま有名な桂浜あたりだったといわれています。

大湊(前の浜)
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大湊(前の浜)[動画/320×240ピクセル/3.7MB]
「廿八日 浦戸より漕ぎ出でて大湊をおふ。この間に、早くの守(前任の国司)の子山口のちみね、酒・よきものども持て来て、船に入れたり。ゆくゆく飲み食ふ。」とあります。大湊という地名はいまは無く、ここ前の浜と推定されています。

奈半の泊(奈半利)
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奈半の泊(奈半利)[動画/320×240ピクセル/3.4MB]
「十日、今日はこの奈半の泊に泊まりぬ。」と書かれているのは、現在の奈半利です。「男も慣らはぬはいとも心細し。まして女は船底に頭をつき当てて哭(ね)をのみぞ泣く」とあり、旅はほんとうに危険でした。画像は現在、町に立つ土佐日記の記念碑です。

室津
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室津[動画/320×240ピクセル/2.5MB]
一行は十一日の明け方、暗いうちに奈半泊を出て室津に向かいます。画像は古くからある室津の漁港です。一行は悪天候のために、九日間もここで足止めされています。

室戸岬
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室戸岬[動画/320×240ピクセル/3.5MB]
室戸岬をまわれば、いよいよ土佐湾を抜け、紀伊水道へと船が進みます。都も近くなるという気持ちがはやります。しかし、一行は荒天のために、九日間も室津で過ごしています。