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埼玉県 【喜多院・本堂】 天長7年(830)慈覚大師円仁が創建。その後、天海僧正が来住した。寛永15年(1638)の大火で現在の山門を除くほとんどが焼失したが、三代将軍徳川家光の命により復興。天台宗第十八代座主慈恵大師良源(じえだいしりょうげん)を祀る慈恵堂(本堂)他が再建された。 |
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埼玉県 【喜多院・御水舎】 御水舎(おみずや)は本堂の手前にあり、ここで参拝者が手と口を清めてからお参りをする。御手洗(みたらし)、手水所(ちょうずどころ)ともいう。屋根の下に翼を持った龍の彫刻があるのは飛龍が水を司る霊獣とされているからである。 |
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埼玉県 【喜多院・多宝塔】 寛永15年(1638)の大火による喜多院焼失の後に建造された。元は山門前の古墳の上に建てられていたが、昭和50年(1975)に現在の地に移築。重層本瓦葺三間多宝塔で一層は方形、二層は円形。その上に宝形造の屋根と相輪(そうりん)がのっている。 |
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埼玉県 【高麗神社・鳥居】 高麗(こま)神社は武蔵国(現在の埼玉県)の開発に尽くした帰化人の高麗王若光(こまおうじゃっこう)を祀る。朝鮮半島から中国の遼東半島一帯を支配していた高句麗が668年唐に滅ぼされ、その王族や遺臣達が難を逃れて我が国に亡命した。 |
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埼玉県 【高麗神社・拝殿】 「続日本紀」によれば、関東一円の七ヶ国に分散していた高麗人約1,800人を武蔵国に移して高麗郡を設け、若光(じゃっこう)に王位を与えてこの地の郡司とした。この地の開発に尽くした高麗王若光(こまおうじゃっこう)はその遺徳により、この神社に祀られた。 |
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埼玉県 【高麗神社・高麗家住宅】 高麗王若光(こまおうじゃっこう)はこの地に居を構えると祖国の技術をもって産業を興し、荒野を開拓して民生の安定に尽くした。その子孫は代々当社の宮司をつとめ、当社の隣地には重要文化財に指定されている高麗氏の旧住宅が残っている。 |
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